早起きしてトレッキング始まったところの続きです。
3kmほど進むと枕木の上に板が敷かれ、木道に変化します。この地点はもと小学校があったところと看板があり非常に驚きました。
縄文杉の切り出しの作業にかかわった人々が住んでいたそうで、小学校の周りには石垣が見られたぶん住居跡かなと思われるところがありました。
しかし、もう鬱蒼とした森林に変化しており、わずか半世紀前のできごととは思えないほど自然の力はすごいものです。
縄文杉の切り出しの作業にかかわった人々が住んでいたそうで、小学校の周りには石垣が見られたぶん住居跡かなと思われるところがありました。
しかし、もう鬱蒼とした森林に変化しており、わずか半世紀前のできごととは思えないほど自然の力はすごいものです。
やっと歩きやすくなって、足元から解放され周りが見えるようになりました。屋久島は日本のすべての気候を再現できるほど、縦に急峻に山が広がっています。
南国風の「マムシ草」から、千両・万両や丸沼高原でよく見ることができる「米つが」などまで、杉ばかりに目を奪われがちですが、直物の豊富さについては日本随一なのかもしれません。
先月CWニコルの講演を聴く機会があって、イギリスの樹木の種類は約400だそうで、それに比べると日本は10倍以上らしく、まさに屋久島のような気候が植物を豊富にしているように思います。
マムシ草
帰りのバスの時間もあるので、観察ばかりしていられず、さっさと歩かないとスケジュールに遅れてしまいます。
中間を過ぎたあたりから、先行するパーティーらしき団体に追いつきました。団体というよりはガイドツアーの参加者のようです。今までは気付かなかったのですが、ガイドさんが結構いて、樹木やら名前の由来やらいろいろ説明していました。ちょっと追い越すとちょっと話が聞け「ふむふむ」と耳を傾けていました。
ガイドさんもいろいろいて、老若男女外国人、10人ぐらいから2人まで。たぶん数十人はいたと思われます。それから泊まり組と思われる重装備をしたパーティーもいて、縄文杉に近づくほど人が増えてきました。
中間を過ぎたあたりから、先行するパーティーらしき団体に追いつきました。団体というよりはガイドツアーの参加者のようです。今までは気付かなかったのですが、ガイドさんが結構いて、樹木やら名前の由来やらいろいろ説明していました。ちょっと追い越すとちょっと話が聞け「ふむふむ」と耳を傾けていました。
ガイドさんもいろいろいて、老若男女外国人、10人ぐらいから2人まで。たぶん数十人はいたと思われます。それから泊まり組と思われる重装備をしたパーティーもいて、縄文杉に近づくほど人が増えてきました。
6kmを過ぎ、やっとトロッコ道の終点が現れました。枕木や木道の道ですから、約7kmの道のりは思ったより疲れました。休憩とトイレを済ませていざ本丸の登山開始です。
ここからは急に山道の登りとなり、岩場や石段、木段があり、筑波山ほどではありませんが、本格的な登山となります。
ところどころ○○杉の銘木があって、注意しながら足元を見たり、木を眺めたりこれまでの景色とはだいぶ変わってきました。
登山を始めて30分ぐらいでウィルソン株につきました。ウィルソン株はその名の通りイギリスの植物学者が切り株に命名したものですが、この木は大阪城築城にも使われたとかで、大変大きな木です。
中は空洞で入ることができ、約4畳半ぐらいの広さがあります。ポイントによっては空洞がハート型に見えるため、その地点にはカメラの順番待ちの列ができていました。知り合いの常陸太田のパン屋さん「アシリアペ【旧店名】こころ 」の主人は、大昔ここでテントを張って泊まったというつわものです。
屋久杉の名物まで来たので、本丸の縄文杉までもう少しかと思いきや、あと1時間20分はかかると隣のガイドさんの話を聞いてがっくり。朝の6時過ぎから歩いて4時間。まだ元気あるもののところどころにリタイアーしたと思われる女の子が一人待っているような姿が見受けられました。普通のトレッキングと思ったら本格登山で後悔したかもしれません。
途中ガイドツアー組が食事を取っていたので、清水が湧くところで休憩と昼食をとりました。5時ごろ食べて10時半ごろの食事です。水はいたるところに湧いていて、どれをとっても名水だそうです。
標高が1000mを超えるころになると霧が出てきて、また苔が一面を覆い森が一層幻想的に見えてきました。さらに「屋久鹿(小型の鹿)」が人を気にせず、登山道のすぐそばで餌を食んでいます。もののけ姫の原型が屋久島の風景だそうで、映画に出てくる一シーンを見ているような雰囲気がありました。
同じ宿に泊まったオランダ人のカップルは、もののけ姫を見て舞台となった屋久島に来たかったと言っていました。
6時20分ごろの出発から約5時間11時半にやっと目的の縄文杉までたどり着きました。道のりは約11km、標高差600m。近くまで行けませんでしたが、展望台が組まれており、たくさんの人で賑わっていました。
最終目的地だけあって、みんな歓声を上げたり、記念写真を撮ったりこれまでとは違って観光地化していました。さすがに日本一の杉だけあって、異様な風貌には4000年とも5000年ともいわれるだけあって、こぶやら苔やら威風堂々とした姿でした。
最終目的地だけあって、みんな歓声を上げたり、記念写真を撮ったりこれまでとは違って観光地化していました。さすがに日本一の杉だけあって、異様な風貌には4000年とも5000年ともいわれるだけあって、こぶやら苔やら威風堂々とした姿でした。
縄文杉
私たちはそこからさらに上に登って「ヒメシャラ」の群生地まで行きました。ここももののけ姫に出てきそうな森で、
樹皮のない百日紅のようなつるつるした幹が、くねくねと曲がってこれまで見たことのない景色が広がっていました。
樹皮のない百日紅のようなつるつるした幹が、くねくねと曲がってこれまで見たことのない景色が広がっていました。
ヒメシャラ
12時を過ぎたため、そろそろ折り返しの時間です。5時のバスが最終ですのでそれまでに来たところまで戻らなければなりません。
行きと帰りの違う点は、細い登山道ではこれから登ってく人たちをまたなければならず、予想に反して時間がかかったのと、石が大変滑るため慎重に足を運ぶ必要があり、ぎりぎりの折り返し地点となりました。
それから膝ががくがくしてきて、さらに進むと痛みまで発症して、結構大変でした。木道までは良かったのですが、歩幅の合わない枕木には参りました。枕木は大きさも形も違っており、JRのそれを想像してはなりません。補修に補修を重ねた結果こうなったのでしょうが、トロッコ道という名前とは裏腹に過酷な道でした。
行きと帰りの違う点は、細い登山道ではこれから登ってく人たちをまたなければならず、予想に反して時間がかかったのと、石が大変滑るため慎重に足を運ぶ必要があり、ぎりぎりの折り返し地点となりました。
それから膝ががくがくしてきて、さらに進むと痛みまで発症して、結構大変でした。木道までは良かったのですが、歩幅の合わない枕木には参りました。枕木は大きさも形も違っており、JRのそれを想像してはなりません。補修に補修を重ねた結果こうなったのでしょうが、トロッコ道という名前とは裏腹に過酷な道でした。
それでも帰りは景色を見る余裕もでき、朝方薄明で見ることのできなかった川や木々そして景色を堪能しました。
出発地点に戻ったのは4時30分、朝出たのが6時20府分でしたから、つも10時間10分・22km・40000歩のトレッキングとなりました。
それでも安房方面のバスにはぎりぎり最終となってしまいました。宿に着いたのは6時前です。ガイドブックにはさらりと書いていますが、普段歩かない人には大変な苦行でしかないように思えます。バスの時間があるため、私たちの後ろのガイドツアーは黙々と下山するところもあって、時間の管理も大変重要な場所でした。
出発地点に戻ったのは4時30分、朝出たのが6時20府分でしたから、つも10時間10分・22km・40000歩のトレッキングとなりました。
それでも安房方面のバスにはぎりぎり最終となってしまいました。宿に着いたのは6時前です。ガイドブックにはさらりと書いていますが、普段歩かない人には大変な苦行でしかないように思えます。バスの時間があるため、私たちの後ろのガイドツアーは黙々と下山するところもあって、時間の管理も大変重要な場所でした。
2日目の夕飯はやはり地元産のお店を探しました。お刺身を頼んだところ、「今日は珍らしく漁師さんから直接伊勢海老を頂いたのでいかがですか?」と言われ、それも1500円、すぐさまお願いしました。
伊勢海老は昨日見た口永良部島付近で捕れるそうで、思わぬご馳走で満足しました。定食にはなんと「亀の手」の味噌汁が付いてきてこれも鹿児島ならではの名物です。岩にこびりついているエビなどの仲間らいいのですが、本当に手のように見えます。これがいい出汁がでるのです。
痛い足を引きずってお店を探した甲斐がありました。
最終日は帰るだけです。行きはトッピーという高速船でしたが、帰りは飛行機を取りました。
その窓からはわたしの大好きな開聞岳が見られ、薩摩半島ごと丸見え。池田湖と指宿・遠くに枕崎、昨年車で一周したところがまた見られるなんてなんとラッキーな眺めでした。
その窓からはわたしの大好きな開聞岳が見られ、薩摩半島ごと丸見え。池田湖と指宿・遠くに枕崎、昨年車で一周したところがまた見られるなんてなんとラッキーな眺めでした。
最近思うのですが、観光しながら星の写真を撮るなんて至難の業であると認識するようになりました。今回もミニ三脚とリレーズを持って行ったのですが、2晩とも雲にやられかないませんでした。またレンタカーという足の問題もあって、夜のスポットにはとてもたどり着きません。いつかは観光しながら地元の名所とともに星空を収めたいものです。